トレッキング日記の目次
1.  2. 3. 4.

Nr. 4

 
 
 
 
 
  『Nr. 4 放浪トレッキング IN NEPAL』
 
            【男、空気に感謝】
 
 
   1999.8月19日 ラウルビナヤク
 
        標高3930m
 
 
朝 目覚める。
ん?昨日の散歩を止めとけばよかったかな?
体が少し重い。
 { この日は何時に目覚め何時に出発したか    }
 { メモッていないので、正確な時間は分からない 。}
 
いつものように、朝目覚めるとすぐに祈るように窓の外を見る。
「うげげげごっ?」
この日のショックは忘れられない。
8000m級の山々さん達が見えないのはしょうがない。
だって、泣く子も流される雨季だから。
 
でも、なんなんだ?この世界は?
昨日のここは、曇ってはいたけれど、霧になってはいたけれど、
60m先は見える程度の時が多く、たまには向かいの山や隣りの山や
遠くの太陽の光が見えていた。
 
今日の目覚めは災厄だ、窓の外から見えるのは、真っ白い色のみ。
窓の下を見ても白い。薄っすら地面の色と緑色が見える。
そんなのを観ながら、ふと思う。
「ゴッツ綺麗なんちゃうん?こんなん滅多に見れへんのちゃうん?」
そう思いつつ外へとでる。
 
暗いくらい獣小屋を出ると、、、、、、、、、、、!!!
なんとまー、真っ白しろすけである。
そう、自分の足まで白くなっている。薄っすら白いってモンじゃなく、
自分の足が30%近く白いのである。
 
もちろん目の前真っ白で、何にも見えない景色である。
景色って言うか、景色がないんである。
もう愕然、わけもわからなく、ただただ白い世界の中呆然とする。
不思議な気分だった。
周りには何も無い、真っ白に360度包まれて、、、、
なんだか浮かんでいるような気分になるし、死後の世界への途中って
感じもする。
 
頭がポワーっとしてくるのである。
不思議な気分だ、天候に対する怒りも落胆も無くなっていた。
寝よう。確か7時くらいに再度寝たのだと思うが、、、、
寝る。
 
 
そして、
 
 
 
起きる。
あー二度寝は何処でしても気持ちいい。
 
さっきよりは全然ましな白さである。
なんせ自分の足の周り10mは確実に見える。
 
さあーて、メシ食って体暖めて出発だ―。
おばちゃん曰く、「こんなWeatherのInnでAloneでOKか?」って、
「アイ donとknow ばっと I はふとぅー GO」
そう、俺には行かなきゃならない訳がある。
ココからはこの時期4時間って道のりだろう。
まーなんとかなるだろうし(今から思うと何処にそんな自信があったあの
     か疑問である。あー怖い自信だ。いつも運だけで生きている。)
ただ、何とかならなくてもネタになると思ってた。
寒い男だから、体でウケを狙わなければならないのがつらい。
ほんと、平凡でまともな人間である。
それが嫌で、わざと変にしなけりゃならないのが嫌になる。
ただ、霧だけが気がかりだ、、、、、
 
目指すは、ラマ教とヒンドゥー教の聖なる湖、
神秘の湖ゴサインクンド4380mである。
 
 
 
 
 
体を充分温め服を着込んで出発する。
一番上には、ドイツのノミの市で買った軍服。
軍隊は腹がもう立たないほど(呆れて)嫌いだし、
最近の若者(俺のほうが若いが)がよく着てるので
嫌だが(人と同じが大嫌いだから)、軍隊用品は
かなり好きである。あれこそローコストであり(ドイツでは)、
かんなりアウトドアに向いている。
凄い丈夫で、いろいろ引っ掛けられる所があったりと便利で
しかも、暖かい。
 
ただでもらった(日本で)日本じゃ着て出歩けないダサい
ウインドブレカーやTシャツとで交換した、ヤクの毛で織った
靴下や、帯がかなりかさばる。
 
 
 
 
歩き出してほんとの20っ歩あたりで、、、、、、そう、息があがる。
「ハフハフ」かなりの速度で息をする。
く、苦しい、、、、
ほんの50っ歩も行かない間に歩幅が20cmになる。
結構な坂道である。
(歩幅を計ったので正確に言いますと22cmでした。)
こんなはずではないのに、、、足が動かん。
重い、重すぎる。酸素が薄いって言うのはこういうことなんだ。
やっと経験が出来た。
体力的なものではないのだろうが、相当くるしい。
 
息がラテンダンスを踊ってる。
NEPAL出発直後の7月26日から1日1回息を止める
訓練をして、肺活量を鍛えてたのに、、、、、、
(幼稚園の時からイトマンスイミングスクールに無理やり行かされ
 ていたので、何でも泳げるし結構肺活量ある。(1級までは行きました)
だが、苦しいのである。トレッキングの前には2分弱息を止めれるように
なってたのに、全然酸素が足りん。(今現在は1分しか止めれません)
なんとまー私も緒戦は人間なのだ、、、、
情けない。
 
 
そうこう、ペースはのんびり、自分ではハードに歩く事すこし?
お堂が突然視界に見えた。
そう、霧が凄いんです。自分の行き先が見えないまま、道になっている
所をただただ、歩いてきた。
 
 
 
そのお堂に、俺をジーっと見ている12歳位の少女が立っている。
彼女に笑顔はなく、目鼻立ちのしっかりした顔がじっと不思議そうに
眺めているのである。
あそこで少し休憩だ。
 
中には、ブッダさんがおられる。70cmくらいの仏像が座ってはります。
手を合わし、ただただ、無事を祈る。
    (日本では、健康、勉学、彼女(空から降ってこないかなー、お金、
     家族の無事、、、っと
    かなり欲張ってその時おもてる全てを願っていたのに、この時
    は、ただただ、無事を祈っていた。今から考えると不思議ぢゃ。
    かなりいっぱいいっぱいであり、崖の多さに参ったのだろう。)
       (友人Ksさんは言う、「私、お願いするのはいつも
        健康と家族の無事だけだよ」って、、、、、、、、)
    やはり、俺は欲張りなんだろう。なんでも頼むから、ほとんど
    叶わなくなってしまう。でも、手に入れたいもの維持したいもの
    を、遠慮なく全て言える方、時、っと言えばそんな時くらいだからね。
 
 
少女はズ〜っと話し掛けずに俺を見ている。珍しく物乞いもしない。
エスニックな、すごく様になっている服を着ているその少女は、一向に
話し掛けようとしないが、俺のそばに座る。笑顔が観てみたい。
不思議なのか、俺が変なのか、微笑まない。
 
座った前に、ラマ教経文を写した小さな旗が1つ落ちている。
たぶんタルチョーの1枚が風で飛ばされてきたのだろう。
そのドロだらけの旗を記念にと拾って、背負ってた水で少し洗う。
 
すると、どうだ?その少女が笑っているではないか。
ん?なぜだ?っと思ったが、なかなか嬉しい。
笑顔は人をホッとさす。俺の疲れが吹き飛んだ。
どうしてこちらの子供らは、あんないい笑顔が出来るのか?
 
タバコの煙でワッカを作る。幸い風がたまに止む。
不思議な事に?お堂のお陰か?強風の中歩いていたのに
今はそうでもない。
少女は喜んで笑っている。
笑顔とは、これほどまで人を快くしてくれるものなのか。
なんだか、日本で忘れていた心の扉の一つを開けてくれた
ような気がする。
 
 
 
 
 
そうだ、高山病予防の為買ったガムが一枚残っている。
現地で買ったレモン味の、すぐに味の無くなるガムをあげる。
するとどうだ、少女は兄弟3人を呼びガムを4等分して、
一番小さいのを自分が食べるのである。
感動しすぎた、凄い!!!!俺なら一人で食べているだろう。
ほんの13mm位のガムを喜んで食べている、、、、
言葉に出来ないほどの感動が襲ってきていた。
 
少女に何かあげたい。
が、、、何も無い。
金は子供に渡さないっていう信条で今まで旅してきたのでそれ以外か。
んー余分なモノは、酒とタバコくらいである(酒は消毒の為でもあり、俺の
生きがいでもあり、生活必需品だ)。
、、、、、、、、、だめだ、、、無い。
 
そうだ、ライターなら家族が使うだろう。
遭難した時のためにライターと蝋マッチは余分に持って来た。
 
ライターをあげると、少女は、おおきに(ネパール語で)といって
すぐさま親に渡しに行った。
これで、彼女は親の笑顔が見れるわけであり、俺も嬉しかった。
本当は飴やクッキーなどをあげたかったのだが、飴はすでに無いし、
クッキーは遭難時の非常食である。
ごめん、、、っとしか言えなかった。(心中)
 
素晴らしき兄弟愛と笑顔を頂いた。
ありがとう。
 
 
 
 
 
ついでに、ゴサインクンド行きの道を聞く。
少女は俺の手を引き3,4分歩き分かれ道の片方を指差す、、、
安心して迷わず、前に進めそうだが、すでに息が少し踊り始めた。
少し下り道だからだろうか、まだチークダンス並みの息の
踊り方で、歩幅はかなり大きくなっている。
 
 
また、登りがやってくる。
歩幅は、進んでいるのかいないのか分からないくらい、タンソクである。
坂道を上がりだすと、酸素のなさに苦しくなる。
感じとしては、ただただ、息が切れる。それが、体力が無いのだと錯覚し、
情けなく感じながら、必死に歩く。
 
この霧では、夜が早くおいでだろう。
焦るが、足は動きにくい。
真っ白な中ただただ、歩く。
景色も糞も何も見えない白い世界だから、平坦なところで歌を歌い
ながら歩こうとしたが、、、無理であった。
一人笑ける。すごい、歌なんか歌えないのである。座ってでも大声で
歌うと(かなりの音痴)そりゃーもう、頭がくらくらするのである。
 
ただ、いまだ頭痛は襲って来ない。
高山病の初期現象、、、俺には無い。
 
よし、このペースを守っていこう。
 
 
 
 
歩き出す、、、、その後1時間かそこらで、また、平坦なぼこぼこ道に
なる。真っ白な世界はまだまだ続いている。
どこもかしこも真っ白だ。
っと、突然大きな音が!!!!!!!!!!!
「ブルブルブルルンー――ッ!!!!!!!!!」
 
「うをっ」
叫んでしまった。
なんなんだ?いきなり!かなりビビル。
真っ白で何も見えないところからいきなり変な声が、、、、
なんと、放牧?放し飼い?の馬が4匹居るではないか?
 
びびった、だれでもまじでビビルと思う。
いきなり白い世界からぼんやりと出てきやがって、、、
あの子供達以外誰とも出会わずに歩いてきたのに、かなりビビッテ、
かなり爆笑した(もちろん馬と一緒に)。
 
笑うと息切れがしんどい。
そんな状況がおかしくて、また笑う。
そしたら、もっと息切れが、、、。
すっごいねー、見た目はナンも変わらんが確実に酸素が薄くなっている。
 
これよこれ、この感覚が知りたかった。
いいねー、やっと体験が出来た。
 
 
この辺は、崖が多い。
道幅は、約90cm
充分といえば充分だが、雲?霧?で、下が見えない。
かなり幻想的である。
自分が仙人になったような気さえしてしまう。
 
綺麗なのでよく下を覗き込みながら歩いていた。
 
荷物を背負ってたときに何度か崩れて落ちかけたが、大丈夫。
この日は、不思議なちから?まー言うなれば単なる運に助けられた。
 
ボーって歩いていた、、、、
疲れるごとに休んでいたもんだから、4時間たってもつかない。
まー、急がずこの聖なる地の幻想的な雲の中の世界を楽しみながら歩き、また、休んでいた。
 
荷物を置いて、ハフーっと一息、気が抜ける。
休む時はいつも景色のいいところを選んで休んでいた。
 
 
 
 
このときは、岩のしたの、崖の上であった。
いつものごとく、下を覗き込んだりしてた。
 
いつも感じる、、、あーこのまま飛べたら気もしエーやろなー、、、
少年時代、鳥オタクになりかけていた俺だけに、飛べるような気がしてくる。
飛ぼうとは思わなかったが、まーココから落ちても死なないだろうと、いつも不思議な
自信がある。
 
下は見えないけど、いつもそう思う。俺は死なない筈だと、、、
(こういう奴に限って死んぢまうんだろうが、、、)
 
 
そんな、半放心状態の中、ほけーっとそんな事を考えていた。
雨季でゆるんだ地面が、、、、ズルズルーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!
かんなり焦った、、、実際スローモーションであった、、、、
ウヲーやってしもたー、っと目をツブル。
あんな恐怖は単車で事故りだくっていた学生時代以来である
 
(事故って吹き飛ぶ時か、事故って転がっている最中や、意識が戻った時には
前からライト二つが(車)自分の方へ近づいて来てて轢かれそうになった時、、、、ぐらいブリである。)
(昔の話で、今はかなりの安全運転者である、、、やっと人間社会のルールが分かってきたから)
 
もうあかんと思った。
だがどうだ?
なぜだ?
今考えても解からない。
生きている。
落ちていなかった。
 
杖が、深くまで刺さっており、そのか弱き杖が、俺を持ち上げていたではないか!
びっくりである。瞬間に俺が自分で突き刺したというのか?
そんな記憶はない。
 
ただ、崩れた所と崩れなかった所の間に深く挟まっている。
足は両足とも崖崩れてしまった所にあり、半宙ぶらりんである。
 
必死で足を上げ、地面に戻る。
今でも覚えている。
助かった後、冷や汗と鳥肌のすごかったこと、、、、
ありとあらゆる毛が立っていた。
この時初めて、髪の毛も逆立つって事を知った。
ちろんわき毛もである。
 
今日の道のりのどこかでインド人2人が最近転落死したってことを聞いたが、、、
 
もしや彼らが俺を呼んだのか?
 
 
疲れも忘れてしまっていた。
アドレナリンの大放出により、復活?
 
標高はもう4300m近くになっている。
もう少しだけ上り下りすれば着くことは、間抜けな地図の等高線から解かる。
 
そのご、1,2時間後には、ゴサインクンドが見えた。
 
はじめに、一個の湖、そして二個目、その後がゴサインクンド。
三つが滝で結ばれている。
 
こんなけ雲っているのに聖なる湖ゴサインクンドの上だけは晴れている。
神を感じた。
 
誰だってそうだろう。
あれを見れば単細胞生物健太郎以外でも感じるはずである。
 
すごい!
これが人々が神が居ると信じきっている湖か!
 
感動しながら、なぜこの上だけ晴れているのか不思議に思いつつ、
宿へと行く。
 
 
Lake Side hotel、、、すごい!下界で泊まった所よりも綺麗である。
さすがにじっとしていると寒い。
 
外は案の定曇っている。
 
だがどうだ?
ゴサインクンドの上だけは、時折晴れるのである。
不思議だ、、、。
 
ここには3ツのホテルが隣接している。
他の客を探すが、、、、
 
HippieケツピNr3で揚げた人たちは頭痛がひどくて寝たきりであるらしい、、、
馬鹿な奴らだ、ゆっくりと登ればいいものを、、、
もう少し手前で一泊してりゃーよかったのだろう。
 
わたしゃ2泊もしたから高度順応ができている?のである。
 
こんなメインのところでねててもしょうがないのに、、、
かわいそうだとも感じたが、少し勝ち誇ってしまった。
 
旅に出ると、マゾな私とサドなおいらが入り乱れるみたいだ。
 
あー今日はおとなしく宿で衣服を乾燥させよう。
 
 
勝手にストーブに薪を入れだくる。
宿の亭主はかなりのエロジジイ。
ガムテで口をふさぎたくなるのを抑えて話を聞く。
薪を入れすぎ部屋が暖かくなっているのにとめもせず、
外国人との色々をいろいろとはなしだくる。
嫁はんがきてもお構いなし。
 
挙句の果てに嫁はんにちょっかいを出す。
他のところでやってくれ!
こっちはそんなん見たないんや!色ボケジジイ!
っと思いつつ、酒が出てくるので許しておかねばならない。
 
悔しい事に俺よか大分に英語がベリーWELLである。
 
嫌われると酒が高くなる。
奴の酒を奪いつつ、そのおっさんの可愛い娘がくれる、
乾燥焼きトウモロコシを頂く。
、、、、美味しくない。
なんせ。湯がかずに焼いているだけ、、、
いったん乾燥させたのをキッタナイストーブの上で焼くだけ、、、
原理としたらポップコーンのできるはずなモノだが、、、、
一向にはじけず、焦げていく、、、
 
まー彼女らがこの硬ーい、歯につまり放題なものをくれるのだから
喰おう。
 
日もとっくに落ちたあたりで、酒も充分まわったあたりで、フランス人
中年女性が到着。
 
金もちさんである。
なんせ、ポーター2人とガイド、料理人付きである。
3週間近くこのへんを歩くらしい。
さすがに、疲れた様子だが、酔った日本の妖怪と酔ったネパリエロジジイが
盛り上がり、そのエロジジイの娘さんたちと歌を聴いたり、歌ったり、、、、
日本の歌を歌えといわれ、、、、歌の歌えない超音痴人間ケンタロウは、
おんてい狂っててもわかりゃしないと、故坂本9さんの「上を向いて歩こう」を
歌う。なかなか好評だった。
 
で、今日殺したヤギの半干し肉を頂く。
「食べるか」っときいてきたからてっきりおごりか?と思って喰ったらば、
翌朝ちゃーんと金を請求された、、、、
 
NEPALでは日本と違って非常にモテル。
あちらこちらで、モテル。
日本でモテタためしがないだけに上機嫌。
 
で、、、、、
NEPAL娘よりその親が熱心。
なんでも日本の国籍がほしいのだそうだ、、、
ハーーー
所詮俺がもててたのではなく、日本国籍がもてていたのであった。
 
トホホホホ
 
 
あらら、気付けば深夜になっているではないか。
 
外のクリーンすぎる空気と共に歯を磨く。
 
いい。
非常にいい。
 
真っ暗闇に黒くどす黒く見えるゴサインクンドと共に
寒さに感動しながら、
「ここが4380mかー」
「静か過ぎるなー」
 
っとこんなに寒く、こんなに空気の薄いことに感激し、
普段何気なく吸っている、酸素の濃い空気様に感謝をしつつ
歯を磨き、レモンティーでうがいをする。
 
 
2000年8月19日
4380m
神秘の湖のほとりで、
永遠への思い出と共に永眠す。
 
 
没日1975年9月9日  故 健太郎氏に捧げる
 
 

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